大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)51号 判決

原告 大谷光紹 外一名

被告 文部大臣

訴訟代理人 長島裕 中島重幸 外三名

参加人 真宗大谷派

主文

原告らの訴えをいずれも却下する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五六年八月一八日付をもつてした参加人の宗教法人真宗大谷派規則の変更申請についての認証を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告の本案前の答弁

主文同旨

三  被告の本案に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1(行政処分) 被告は、参加人から申請されていた宗教法人真宗大谷派規則(以下「本件規則」という。)変更について昭和五六年八月一八日をもつて認証した。

2(原告らの地位) 原告大谷光紹(以下「原告大谷」という。)は、参加人の被包括法人であり同派の本山である本願寺の住職大谷光暢の長子で、本願寺の法嗣として別院の代表役員となり、また、次の法主すなわち管長となる地位を有する者である。

原告橿原信暁(以下「原告橿原」という。)は、参加人の宗議会議員であり、参加人において教師資格を有する僧侶であつて、参加人の被包括法人である順慶寺の住職である。

3(本件認証を争う原告らの適格) 従来、別院の代表役員は当該寺院の住職又は教会の主管者の職にある者をもつて充てるものとされていたが、本件認証にかかる本件規則の変更によれば、右代表役員は当該別院の輪番をもつてこれに充てるものとされた。原告大谷は法嗣として従前の規則によれば別院の代表者となりえたが、規則変更後はこれになりえなくなつた。また、従来、参加人の管長は、宗務総長、参務、評議員、常務員、会計監査院長及び被包括法人の代表役員等の任命権を有していたが、本件認証にかかる規則の変更によつて、これら任命権はすべて否定された。同原告は次の管長たる地位にある者としてかかる管長の職務権限の変更には重大な利害関係を有する。よつて、同原告には本件認証を争う適格がある。

原告橿原は、本件規則変更に関する違法決議がなされた当時の宗議会議員であつたから、右決議の無効を主張する法的利益があり、右決議が無効であれば本件認証も取消しを免れず、その結果、違法に侵害された議決権(宗議会議員の地位)が回復されることとなるから、右認証を争う適格がある。なお、同原告は昭和五六年一二月一一日任期満了により現在宗議会議員ではないが、それは、本件規則変更問題に関連して同原告が参加人の不当な除名を受けたことが原因であるから、本件認証が取り消されれば同原告は再び宗議会議員に選出される蓋然性が極めて大である。更に、参加人においては、僧侶は、参加人を護持する義務を負い、その経費を負担する義務を負う等参加人と経済的な結びつきがあるところ、従来、参加人の管長は、参加人の被包括法人である寺院又は教会の設立、法人となること、重要財産の処分、規則の変更、合併及び解散について承認権を有し、これに対応して順慶寺をはじめとする参加人の被包括法人は、その寺院規則で代表役員たる住職は参加人の管長が任命すること並びに重要財産の処分、規則の変更、合併及び解散については管長の承認を要することを定めている。しかるに、本件認証にかかる変更後の規則によれば、かかる管長の承認権は否定され、附則2項で「この法人が包括する法人の規則中、真宗大谷派の管長の職務に属する事項は、真宗大谷派の宗務総長が行うものとする。」と定められることとなつた。右のとおり一般寺院に対する権限が管長に属するか、宗務総長に属するかは原告橿原にとつて重大な利害関係があり、それ故かかる規則変更の認証を争う適格がある。また、本件認証にかかる規則変更によれば、従前参加人の代表役員は管長が任命するものとされていたのが、その任命を必要としなくなつてしまつたが、原告橿原にとつて参加人の代表役員の選任手続が変更されることは重大な法律上の利害関係があるから、この面からも同原告には本件認証を争う適格がある。

4(異議申立て) 原告らは、本件規則変更申請に対し被告が認証したことを昭和五六年八月一九日に知つたので、原告大谷は同年一〇月九日に、原告橿原は同月一三日にそれぞれ右認証の取消しを求める異議申立てをしたが、被告は昭和五七年二月二日原告らには異議申立てをする適格がないとの理由で右申立てをいずれも却下した。

5(本件認証の重大な瑕疵)

(一)  本件規則の変更手続には重大な瑕疵があるから、その認証は取り消されるべきである。

(二)  すなわち昭和五五年六月六日から開催予定であつた参加人の宗議会につき京都地方裁判所が同月四日その開催を禁止する仮処分決定(昭和五五年(ヨ)第三四〇号)をしたにもかかわらず、参加人は、右決定に違反して同月六日から宗議会を開催し、五辻實誠が宗務総長に推挙され、同年一一月八日参加人の管長は、五辻實誠を宗務総長に任命し、同月一九日開催の宗議会臨時会を招集した。同会においては右仮処分違反の宗議会のした議決の承認決議をした。また、この臨時宗議会において、参加人の代表者は宗務総長の職にある者をもつて充てる旨規則を変更し、五辻實誠が宗務総長であり、代表者であるとしてその旨の登記がされた。そして、昭和五六年六月開催の宗議会において本件規則変更が決議され、五辻實誠が本件申請をした。

(三)  右の五辻實誠を宗務総長に推挙した旨の決議は仮処分決定に違反したものであるから無効であり、そうすると、五辻實誠は宗務総長でなく、かつ、宗務総長は存在しなかつたことが明らかである。したがつて、管長が五辻實誠を宗務総長に任命すること自体無意味なものであつて、その後仮処分違反の宗議会のした議決を管長が瑕疵なきものと承認しても仮処分違反の議決の瑕疵が治癒されるものではない。更に、前記宗議会の臨時会は適法に招集されたものではない。けだし、管長は内局の補佐と同意とによつて宗議会を招集するものであつて、これは達令によることを要し、この達令には宗務総長及び参務の副署を必要とする。

ところが、内局は、宗務総長及び参務五人以内で組織されるものであり、かつ、参務は宗務総長がこれを選定するものであるところ、この臨時会招集手続時には前述のとおり宗務総長は存在していないので、参務も選定することができず、参務も存在せず、内局も存在しないこととなる。したがつて、当該臨時会は招集手続の要件である内局の補佐と同意及び達令への宗務総長及び参務の副署を欠くものであるから、臨時会の招集手続は無効である。更に、五辻實誠を宗務総長に任命するについては、宗議会によつて推挙されなければならないが、前記のとおりかかる推挙の議決は存在しない。加えるに、前記宗議会臨時会は真宗大谷派宗憲(昭和五六年六月一一日宗達第三号による改正前のもの。以下「旧宗憲」という。)二四条にいう臨時会であつて、同会における議事は宗務総長の提案した事項に限られるところ、宗務総長は不存在であつたから、右臨時会における決議は無効不存在である。宗務総長が不存在では宗議会の招集手続は不能であるが、それにもかかわらず開催された前記昭和五六年六月の宗議会は適法に招集されたものではないから、そこにおける議決も無効不存在である。

(四)  よつて、本件規則の変更申請は、参加人の代表者でない五辻實誠によつてなされたという点及び本件規則変更の要件である宗議会の議決が不存在であるという点で無効であるから、その認証にもまた重大な瑕疵がある。

6(結論) よつて、原告らは被告に対し本件認証の取消しを求める。

二  被告の本案前の答弁の理由

1  原告大谷に原告適格のないことについて

原告大谷は、参加人から僧籍を削除され法嗣(旧宗憲改正に伴い制定された内事章範の附則により新門とみなされている。)としての地位を失つていることは後記参加人の主張のとおりであるが、仮に現在も法嗣であるとしても、本件規則の変更によつて直接当然に同原告が別院の代表役員となりうる地位を失うものではなく、そのためには当該別院の規則変更が必要である。すなわち別院は参加人に包括されるものではあるが、独立の宗教法人であり、宗教法人法上は、参加人が別院の代表役員に関する規則の定めをどのように改正しようと、これに従う義務はなく、同じように自らの規則を改正するかどうかは自己の意思によつて決定しうるのである。もつとも宗教団体(本山、別院及び末寺等を含む。)としての真宗大谷派の最高規範である宗憲においても別院の代表役員に関する定めがあり、その定めを改正した場合には、別院は、同宗派に所属する団体として改正された定めに従う義務を負うとしても、その義務は、本件規則の変更の認証によつてではなく、宗憲の改正によつて生じるものであるし、宗憲は、宗教上の統制関係に基づくものであり、宗憲上の義務は宗教法人法の下における法的義務でもないから、いずれにしても法律上本件規則の変更の認証によつて別院の規則が変更されるわけではなく、したがつて原告大谷の代表役員となりうる地位に変動が生ずるものではなく、同原告は右認証を争う原告適格を有しない。

なお、原告大谷は、参加人の各別院規則に「宗憲及び真宗大谷派規則中、この法人に関係がある事項に関する規定は、この法人についてもその効力を有する。」との定めがあることにより、本件規則の変更が別院規則の変更をもたらすと主張するが、右別院規則の規定の趣旨は、宗教法人法一二条一項一号から一二号の規定事項に関連する事項については、これらを定めた場合のみ規則に記載することとしていること(同項一三号)から、これら関連事項が必ずしも規則に記載されるとは限らないので、これら関連事項についていちいちそれぞれの別院規則に記載する煩を避ける目的で、右別院規則のような規定を設けておいて参加人の規則や宗憲等に定めておけば、個々に規定したと同一の効果を発生させようとするものなのである。したがつて、右規定は、後記のとおり既に別院規則中に規定されている本件代表役員に関する事項については適用の余地はない。また、規則と宗憲とは、その制定目的、規定範囲を異にするが、法律上の事項について規則の定めが宗憲と異なる場合には、規則の定めが効力を有することとなる。かかる場合、宗教団体の運営の統一性を保持するためには両者の規定内容を合致させる必要が生ずるが、常に宗憲を規則に合致させなければならないものではなく、いずれに統一するかは宗教団体の意思にかかるのであつて、宗憲の定めが宗教団体の意思であれば、逆に規則が宗憲の内容に合致するよう変更されることもありうるのである。本件規則変更は、参加人の別院の代表役員に関する政策方針に基づき、まず初めに宗憲が改正され、その内容に沿つて規則が変更された事例であつて、別院の規則の変更をもたらすこととなつたのは宗憲の改正であつて本件規則の改正ではないのである。

更に原告大谷が法嗣であるとしても、法嗣の住職、代表役員となり得る地位は法律上の地位ではなく将来の事実上の可能性に過ぎない。すなわち住職は宗教上の地位であるが、これに関連して法律上の地位である別院の代表役員につき、本件変更前の参加人規則には、「代表役員は、宗憲により当該寺院の住職……の職にある者をもつて充てる。」(二七条)と規定され、これに対応して全国五二の別院においても、その各々の規則に、「代表役員は、この寺院の住職の職にある者をもつて充てる。」と規定し、住職については、「住職は、宗憲により、真宗大谷派の法主の職にある者が当る。」、「住職は、宗憲により大谷姓を各乗る男子たる教師に就いて真宗大谷派の管長が任命する。」又は、「住職は、宗憲により、教師のうちから真宗大谷派の管長が任命する。」のいずれかの規定が置かれている。

一方、宗憲(昭和五六年六月一一日宗達三号による改正後のもの。以下「新宗憲」という。)は、別院の住職に関する事項は条例で定めることとし(七七条)、右条例である別院条例(昭和五六年六月一一日参加人の条例公示第七号により公示されたもの。)には、「別院の住職は、門首が兼務する。ただし、特に必要と認めたときは、新門又は連枝を住職とすることができる。」(一八条。なお「門首」は旧法主、「新門」は旧法嗣を指称するものである。以下同じ。)と規定され、他方、前記内事章範には、「新門は、別院の住職になることができる。」(七条三項)と規定されている。右各規定によつて明らかなとおり、新門(法嗣)は、当然に住職になるのではなく、特に必要と認められたときに限つて住職になることができるだけであり、別院の住職そして代表役員となる事実上の可能性を有するのに過ぎないのである。現に原告大谷は本件規則変更当時いずれの別院の住職(代表役員)でもなかつたのである。なお、同原告の引用する本山寺法は昭和五六年六月一一日に廃止されている(以下「旧本山寺法」という。)。

次に、原告大谷は、同原告が法嗣として次の法主すなわち次の管長たる法的地位にあるから、法主や管長の地位及び権限に関する規則の変更については法律上の利害を有すると主張する。しかし、仮に同原告がなお法嗣であるとしても参加人における法主の地位及び権限についてはすべて宗憲(旧宗憲)によつて定められており、規則には何らの規定も存しなかつたから法主の地位及び権限の変更は本件規則の変更と無関係であるし、参加人の管長たる地位に基づいて別院の代表役員になりうるとの定めは本件変更前の規則には存在せず、また、参加人の管長たる職の設置根拠は規則ではなく旧宗憲にあつたところ、旧宗憲は昭和五六年六月一一日改正され、新宗憲には「管長」という職は存在しないのである。したがつて、仮に本件規則変更認証が取り消されても、参加人に「管長」なる職が復活するものではないのである。仮に現在においても「管長」なる職が存続しているとしても、管長は旧宗憲によれば宗議会及び門徒評議員会における議決により推戴されるものであつたのであり(一六条一項)、法主又は法嗣であるからといつて必ず管長に推戴されるとは限らなかつたのである。

したがつて、同原告の主張はいずれも失当である。

2  原告橿原に原告適格のないことについて

原告橿原は、宗議会議員として宗議会の議決につき利害関係を有し、本件規則変更の認証を争う適格があると主張する。しかしながら、本件変更前の参加人の規則によつても、宗議会議員は、選挙によつて資格を取得し、宗議会の議決にその構成員として参加できるだけであつて(同規則一四、一五条)、議員であるからといつて議決に個人的利害を有するわけではないから、宗議会議員であることからは本件規則の変更の認証について個人的な利益を有することとなるものではない。のみならず、原告橿原は昭和五六年一二月一一日任期満了により宗議会議員としての地位を失つており、仮に認証が取り消されてもその地位が回復することにはならない。

次に、原告橿原は、参加人の僧侶であり被包括法人順慶寺の代表役員たる住職として、一般寺院に対する権限が管長から宗務総長へ変更されたことに利害関係を有するから、本件規則変更の認証を争う原告適格があると主張する。

しかしながら、管長の廃止は本件規則の変更によるものではなく、宗憲の改正によるものであることは、前述のとおりである。なお、規則の変更は、右宗憲の改正によつて廃止された一般寺院に対する承認権等の管長の権限が宗務総長に属するものと変更されたことに適合するようなされたものであるが、右変更当時において被包括法人である一般寺院の規則においては、依然として一定の事項について参加人の管長の承認を要するものと規定されたままになつていたため、参加人内部における承認に関する事務処理上疑義を生ずるおそれがあつたので、参加人としては、一般の寺院規則が管長の権限と定めている事項であつても参加人内部においては宗務総長の権限として事務処理手続を進めてよいことを明らかにするため、その趣旨の附則(2項)を設けたのである。したがつて、右附則によつて一般寺院の規則が当然変更されたものでもなければ、一般寺院に規則の変更義務を課したものでもないのである。また、管長が一般寺院の一定事項について有する承認権が、宗務総長に移つたからといつて、その権限の行使の手続、要件及び効果に実質的な変更があるはずはなく、原告橿原の法的地位にはいかなる影響も及ぼすものではないし、同原告にとつて変化があるとすれば、それは同原告の主観的な事実上のものであるに過ぎないのである。したがつて、同原告の主張はいずれも失当である。

三  参加人の本案前の主張

1  原告大谷に原告適格のないことについて

原告大谷は現在参加人に所属せず、法的に何らの関係もない。したがつて、このように無関係の者が参加人の規則変更の効力を争う利益は存しない。

すなわち、同原告は、参加人に属する僧侶であつて、参加人と包括・被包括関係にある東京別院の住職としてその代表役員であつたところ、右東京別院は参加人から離脱することを決議し、その旨規則を変更して昭和五六年六月一五日認証を受けた。かくして参加人と東京別院(宗教法人東京本願寺)との包括・被包括関係は廃止され、同原告は参加人とは無関係の宗派の寺院である東京本願寺の代表役員となつた。ところで、参加人の定める僧侶条例(昭和二三年七月五日参加人の条例二四号、以下「僧侶条例」という。)一九条四号は「本派に僧籍のある者が更に他宗派の僧侶となつた者」はその僧籍を削除することを定め、更に、同条例二〇条二号は、「他宗派の寺院又は教会に居住」するときはその僧籍を削除することができる旨を定めている。そして、右規定をうけて僧侶条例施行条規(昭和三三年一二月一日参加人の告達第三一号、以下「僧侶条例施行条規」という。)一九条一項は「本派から離脱した寺院に所属する僧侶は、出願のない限り本派から離脱したものとみなし、その籍を削除する。」と定めている。

同原告は、以上の定めに照らせば、参加人の僧籍を削除されるべき者であつたので、参加人は昭和五六年六月一五日同原告の僧籍を削除した旨を告示したのである。

2  原告橿原に原告適格のないことについて

原告橿原は現に宗議会議員の地位を有しないし、そもそも単に議員の地位にあることを理由としては宗議会の議決の効力を争う原告適格を有しないことは被告主張のとおりである。

参加人の僧侶であることをもつて原告適格の根拠とする同原告の主張については、そもそも本件規則で変更になる点は、その目的、宗議会・門徒評議員会の組織、会計監査院、参加人が包括する寺院・教会・本山「本願寺」の経費の支弁、規則の変更、合併の手続、規則の尊重と宗門の護持義務に関する事項などであり、本件規則の変更は原告の法的利益には全く無関係である。同原告は、参加人の包括する宗教法人に対する権限を管長が行うか、宗務総長が行うかは、同原告にとつて重大な利害関係があるというが、同原告は僧侶たる個人の資格において訴えを提起しているのであり、参加人の被包括法人が原告になつているのではない。したがつて、原告は一般寺院の利害関係を直接主張できるものではなく、参加人の一般寺院に対する権限のいかんはなんら同原告個人の法律上の利益に影響を及ぼすものではない。のみならず、被包括法人に対する権限の行使を包括法人の管長が行うか、宗務総長が行うかは、包括法人の純然たる内部組織問題であつて、これによつて被包括法人の権利義務になんらの影響を及ぼすものではない。

四  本案前の主張に対する原告らの反論

1  原告大谷の原告適格について

被告は、本件規則の変更によつて直ちに別院の規則が変わるという関係にはないと主張するが、本件規則の変更は必然的に別院の規則の変更を結果するものであり、現に別院規則は変更され昭和五七年三月一六日京都府知事はこれを認証している(もつとも、この認証についても現に審査請求がなされている。)。

すなわち、参加人の各別院規則には「宗憲及び大谷派規則中、この法人に関係がある事項に関する規定は、この法人についても、その効力を有する。」旨の規定が存し、本件規則の変更によつて別院規則が変わるという関係になつている。

また、被告も、参加人の宗憲における別院の代表役員に関する定めが変更された場合には、別院は、宗派に所属する団体として、変更された定めに従う義務があることを認めているが、代表役員に関する定めは法律上の問題であり、法律上の問題については宗憲といえども認証にかかる規則に反することはできないのであるから、参加人の規則の変更は、宗憲の変更を経由して別院の規則の変更を必然的にもたらすこととなるのである。

更に、参加人においては、宗教法人法に基づいて法人格を取得するにあたり規則を制定した以降は、参加人の世俗的側面に関してはすべて規則によることとし、宗憲は、宗派の根本規範ではあるものの、世俗的側面については効力を失うか又は実質的に規則の内容規定に変質するかに至つたものであるから、宗憲等の内部規程で参加人の世俗的側面に関していかなる定めをしても無意味である。したがつて、別院の代表役員の定めに関する規則の変更義務が、本件規則の変更認証によつてではなく、宗憲の改正によつて生じたものである旨の被告の主張は失当である。仮に、被告主張のとおり、原告大谷の権利の侵害は宗憲改正の結果生じたものであるとしても、規則の変更が認証され、かかる認証が確定してしまえば、宗憲は規則の定めに反し得ないから、同原告においていかに宗憲の改正を争い、これに勝訴しても目的を達することはできないこととなるのである。

次に、被告は、法嗣が別院の代表役員となるのは事実上の可能性に過ぎないという。しかし、法嗣が、その受ける住職(門跡)に準じた待遇(旧本山寺法七条一項一号、一三条一項)の具現の一つとして、別院の代表役員となることは、既に参加人においては慣習法として確立しているものであるが、宗派の諸規定においても、旧本山寺法一三条によつて注意的に明文化されており、法により保護された確固たる地位というべきである。なお、原告大谷は被包括関係離脱前の東京本願寺(別院)の代表役員であつた。また、被告は、旧本山寺法は廃止されたと主張するが、その廃止手続には本件本案において主張するのと同様の瑕疵があり違法であるから、廃止は無効であり、右内部規則は現に効力を有するものである。

被告は、本件規則変更の認証が取り消されても、参加人に管長の職が復活するものではないと主張する。しかしながら参加人の世俗的側面については、規則が宗憲に優越することは前述のとおりであつて、上位規範である規則に「管長」なる職制が存する以上、下位規範である宗憲によつて管長制度を廃止してもその部分は法的に無効であり、依然として管長は存続しているというべきである(なお、原告らは、右宗憲の改正をも無効不存在と主張するものである。)。

次に、参加人は、原告大谷が現に法嗣でないと主張する。たしかに参加人がその主張のような告示をしたことはあるが、かかる告示による地位剥奪行為は全く理由のない恣意的行為であつて違法無効である。すなわち、参加人には法嗣たる同原告の僧籍を削除する権限はないし、僧籍削除の前提となつている宗憲及び規則の改正が無効である以上、削除の根拠が存在せず、また僧籍削除の理由も存しない(東京本願寺の被包括関係を廃止したことは理由とならず、宗教法人法上これを理由とすることは違法である。)からである。この点については、同原告は、被告を本願寺として地位確認の民事訴訟を提起し、現に係属中である(京都地方裁判所昭和五七年(ワ)第四二三号)。

2  原告橿原の原告適格について

被告は管長制度の廃止につき、本件規則の変更によるものではない旨を主張するが、世俗的側面に関しては規則が宗憲に優越するため、管長制度の廃止は規則の変更によるものと解される点については前述のとおりである。

更に、被告や参加人は、一般末寺等に対する包括法人の任命権承認権等が、管長にあるか否かによつてはなんら差異を生じるものではないと主張する。

しかしながら、第一に、右承認権等の要件はなんら規定されておらず、その裁量範囲は無限といつていいほどなのであつて、これを誰が行使するかによつて、その結果には重大な差異が生じるのである。第二に、包括宗教団体は上位団体として単位宗教団体を統轄するのであるが、参加人においては、その統轄は、いわゆる本末型に属するのであつて、本末型の包括関係においては、多数の施設宗教団体が、本末、本支の関係で結集されており、最上位に包括宗教団体が結成されていて、そこには総本山などと呼ばれる中心的施設宗教団体と、管長、座主又は法主人などと呼ばれる宗教上の最高位者が存在し、信者は包括宗教団体の宗教を信奉するのみならず、総本山及び宗教上の最高位者に対し遵嵩帰向しているのである。原告橿原もかかる事実関係を前提として包括法人たる参加人に監教権(包括宗教団体の被包括宗教団体に対する権能(治教権)のうち、組織の維持その他宗教政治に関するものをいう。)を委嘱しているのであつて、それ故に、同原告は、右監教権が誰に属するかにつき重大な法律上の利害関係を有するのである。

五  請求原因に対する被告の答弁

請求原因1の事実、同2の事実中本願寺が参加人の被包括法人であること、原告大谷が大谷光暢の長子であること及び原告橿原が参加人において教師資格を有する僧侶であつて参加人の被包括法人順慶寺の住職であること、同4の事実並びに同5(二)の事実中臨時宗議会で規則を変更したとの点を除くその余の事実(臨時宗議会においては、規則変更の議決を行つたのみであり、その後昭和五五年一二月八日被告の認証を受けて規則変更を行つたものである。)は認め、その余の事実は否認し(昭和五六年六月一一日新宗憲の施行に伴い「法嗣」なる称号は廃止され、新たに「新門」なる称号が設けられて従前の法嗣が新門とみなされている。また昭和五七年三月一六日本願寺規則も変更され、「住職」なる役職は廃止されている。)主張は争う。

第三証拠〈省略〉

理由

一  原告大谷の原告適格について

1  原告大谷は、参加人の被包括法人である本願寺の住職であつた大谷光暢の長男として従前法嗣たる地位にあり、かつ、参加人の被包括法人であつた東京本願寺(別院)の代表役員であるところ、右東京本願寺は、参加人との包括・被包括関係を離脱したことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に成立に争いのない乙第三、九号証、丙第一、二号証、第三号証の一・二、原本の存在及び成立に争いのない乙第四号証並びに証人曽我敏(後記一部採用しない部分を除く。)、同宮部幸麿の各証言を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告大谷は、従前参加人の唯一の本山であつて、参加人の全寺院及び教会の本寺であつた本願寺(旧宗憲一条、旧本山寺法一条一項)の住職大谷光暢の長子であつて、旧本山寺法七条による第一順位の本願寺住職後継者であつた。

旧本山寺法一三条一項には、「住職後継者で得度式を受けた者を法嗣と称し、別に新門跡ともいい、門跡に準じてその待遇を受ける。」旨の規定があつたところ、同原告は右規定にいう法嗣の地位にあつた(但し、真宗本廟条例(昭和五六年六月一一日参加人の条例公示第一号)七条、附則二項により現在かかる地位は「新門」と称され、従前の法嗣が新門とみなされている。)。

(二)  原告大谷は、昭和四一年七月二七日参加人の被包括法人であつた東京別院東京本願寺の住職に就任してその代表役員となつていたが、右東京本願寺は、参加人との被包括関係を廃止する旨の規則の変更を行い、昭和五六年六月一五日右規則の変更について東京都知事の認証を受けた。

(三)  旧宗憲七七条には、「得度式を受け、僧籍簿に登載された者を、本派の僧侶と称し、本派を護持する義務を負う。」旨(新宗憲には七九条に同趣旨の規定がある。)、同七八条には「僧侶は、寺院又は法人である教会に所属する。」旨(新宗憲には八〇条に同趣旨の規定があるが、門首、新門等については別に定めることとされ、内事章範(昭和五六年六月一一日参加人の条例公示第二号)により、これらの者の僧籍は寺院、教会に置かず、特別僧籍簿に登載することとしている。)、同七九条二項には「僧侶及びその身分に関する事項並びに教師補任の資格、等級及びその称号は、条例でこれを定める。」旨(新宗憲には八一条二項に同趣旨の規定がある。)がそれぞれ規定されており、右七九条二項にいう条例として僧侶条例が制定されていて、同条例八条には「得度式を受けた者には、度牒を授け、これを僧籍簿に登載する。」旨、同一二条には「僧籍は、寺院又は法人である教会に置く。」旨、同一三条には「僧籍簿は、寺籍簿又は教会籍簿に併置する。」旨がそれぞれ規定され、また、同一九条柱書には「左の各号の一に該当するものは、その僧籍を削除する。」と規定され、その各号のうち四号には、「本派に僧籍ある者が更に他宗派の僧侶となつた者」との旨が、同二〇条柱書には「左の各号の一に該当するときは、その僧籍を削除することができる。」と規定され、その各号のうち二号には、「他宗派の寺院又は教会に居任し、若しくは本派の僧侶としてその実のないとき。」との旨がそれぞれ定められており、その施行細目を定めた僧侶条例施行条規一九条一項には、「本派から離脱した寺院に所属する僧侶は、出願のない限り本派から離脱したものとみなし、その籍を削除する。」旨が規定されていて、右僧侶条例の各条文は条例制定以来改正されておらず、右施行条規は昭和四一年以来改正されていない。

(四)  本願寺住職、法嗣及び連枝(住職及び法嗣又は先代住職の子であつて、得度式を受けた者。旧本山寺法一五条一項)の僧籍は、古来本願寺に置かれ、法嗣については、別院の住職となつても、僧籍を別院に移さないが、連枝については、別院の住職に任命されたときは、その僧籍を該寺院に移転することとされていた(旧本山寺法一五条一項)。

(五)  原告大谷の僧籍も、法嗣(後に新門)として本願寺に置かれていたが、右(二)に認定の事実が発生したので、参加人は、同原告が、自らその住職・代表役員である宗教法人「東京本願寺」の参加人との被包括関係を廃止したことは、僧侶条例一九条四号及び二〇条二号に該当するとして、昭和五六年六月一五日その僧籍を削除し、併せて門首後継者を変更することとして、同日その旨を宗務総長五辻實誠名義で告示した。

(六)  僧侶条例には、「僧侶は、別に定めるところにより、本派の経費を負担しなければならない。」旨が規定されているが、本山(本願寺)に僧籍のある者については、経費を賦課する根拠となつている宗費賦課金条例において、本山(本願寺)を賦課対象から除いているため、本願寺に僧籍のある門首、法嗣等は経費を負担していない。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  右認定の事実によれば、原告大谷は、その所属する東京本願寺が参加人との被包括関係を廃止したことにともない参加人から僧籍を削除され、当然に法嗣(新門)としての地位をも失つていることが明らかである。

3  原告大谷は、同原告のような門主の直系家族については僧侶条例が適用されず、したがつて、同原告の僧籍を削除することは許されないと主張するものの如くであり、証人曽我敏はこれに副う証言をしている。しかしながら、そもそも同原告は、参加人との被包括関係を廃止し、したがつて他宗派となつたものというべきである東京本願寺に離脱後もその代表役員としてとどまつているのであるから、参加人は同原告自らも参加人の宗派を離れたものとして僧侶条例等の規定を待たずに当然にその僧籍を削除しうるものというべきであり、のみならず、前認定の事実によれば、原告らが依然効力を有すると主張する旧宗憲においては、本派の僧侶を、「得度式を受け、僧籍簿に登載された者」であつて、寺院等に所属するものと定義し、かかる僧侶の身分等については、条例でこれを定めるものとされたのを受けて、僧侶条例が制定されているものであるところ、原告大谷は、得度式を受け、本願寺の僧籍簿に登載され、従前は本願寺に、その後は東京本願寺に所属していたのであるから、まさに右宗憲にいう僧侶に該当し、僧侶条例が適用されるものというべきである。証人曽我敏は、同原告が僧侶に課せられるべき経費負担義務を免れていることを同条例の適用されないことの根拠の一つとし、このことは前認定のとおり認められるが、しかし、そうであるからといつて同原告が僧侶でないということはできず、したがつて、右証人のこの点に関する証言は採用することができない。よつて、同原告のこの点に関する主張は採用することができない。

4  次に、原告大谷は、本件僧籍削除の前提となつている規則・宗憲の変更が無効であるから、右削除も無効であると主張するが、右削除の根拠は、前認定のとおり、原告らが無効と主張する変更の行われていない僧侶条例にあるのであるから、同原告の右主張は失当である。

5  更に、原告大谷は、右削除が本来代表役員でない宗務総長名で行われたから無効であると主張するものの如くである。この点については、前述のように、原告大谷が参加人から離脱した寺院の住職である以上、同原告は、参加人とは全く別個の宗派の僧侶になつたものとして、参加人の代表役員が何人であろうと、同原告の僧籍を削除すべきこととなると考えられるのみならず、参加人が根拠とする僧侶条例一九条四号は、他宗派の僧侶となつた者については裁量の余地なく僧籍を削除することと定めているから、代表役員のいかんにかかわらず、同原告は僧籍を削除されることとなつたものと認めるべきである。したがつて、仮に宗務総長が告示をしたことになんらかの瑕疵があつたとしても、告示の効力は維持されるものというべく、同原告の右主張もまた理由がないものといわなければならない。

6  原告大谷は、参加人との被包括関係の廃止を僧籍削除の理由とすることは、宗教法人法七八条一項に反すると主張する。しかしながら、被包括関係を廃止して他宗派の僧侶となつた者の僧籍を削除することは、いわば当然のことであり、これをもつて同項にいう不利益な取扱いに当たるとすることはできないと考えられるのみならず、右規定は、包括する宗教法人が被包括関係を廃止した後には適用の余地のないことが事柄の性質上明らかであるというべきであるから、同原告の右主張も採用の限りでない。

7  そうすると、原告大谷は、現に参加人の法嗣(新門)ではなく、参加人の僧籍も削除された、いわば参加人とは法律上全く利害関係を有しないものというべきであるから、同原告には本件規則変更の認証を争う原告適格がないといわなければならない。

二  原告橿原の原告適格について

1  原告橿原が、その原告適格を基礎づける理由として主張するもののうち、同原告が現に宗議会議員であることを根拠とするものについては、同原告の宗議会議員たる地位が昭和五六年一二月一一日任期満了となつていることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によつて右事実を認めることができる以上、理由がないというべきである。同原告は、本件規則変更の認証が取り消されれば同原告が再び宗議会議員に選出される蓋然性が極めて大であるというが、これを認めるべき証拠はない。また、同原告は、違法な決議がなされた当時宗議会議員であつた者は、右決議の無効を主張する法的利益があるというが、独自の見解であつて到底採用できないのみならず、右決議が無効とされ、本件認証が取消されると仮定して、なにゆえにその結果違法に侵害されたとする同原告の議決権(宗議会議員の地位)が回復されることとなるのか理解しがたい(当然のことながら、仮に決議が無効となれば、新たに宗議会議員による決議がなされることとなるが、同原告がその宗議会議員のなかに含まれるとするなんらの根拠もない。)。よつて、同原告が宗議会議員であること又はあつたことを理由として原告適格を基礎づける主張は、いずれも採用することができない。

2  同原告が、その原告適格を基礎づける理由として主張するもののうち、同原告が参加人において教師資格を有する僧侶であり、参加人の被包括法人である順慶寺の住職であることを理由とするものについては、成立に争いのない乙第一号証によつて認められる本件規則の変更の内容のなかには、右地位にある同原告の権利・義務に影響を及ぼすような事項は、およそこれを認めることができないから、失当である。同原告は、参加人の被包括法人の設立、重要財産の処分、規則の変更、合併及び解散等についての承認権が管長から宗務総長に移ることは同原告にとつて重大な利害関係があるという。しかし、本件規則の変更前後を通じ、右承認に関する基準等の異同はなかつたのであり、承認権の行使主体が制度上管長から宗務総長に移つたというだけでは、同原告の権利義務になんら具体的な影響が生ずるものではない。同原告の主張は、結局のところ、管長や宗務総長に特定人が就任していることを前提とするものであり、原告適格を基礎づけるべき法律上の利益は、このような特定の事実関係を前提として判断されるべきものではないから、同原告の右主張は到底採用することができない。同原告の主張のうち、参加人の代表役員の任命権者に関するものについては、本件規則の変更によつて右任命権者が変更されたものでないことは前記乙第一号証から明らかである以上、失当であり、同原告が代表役員をしている順慶寺に対する監教権を行使する者の異同をいう点は、宗教法人順慶寺の利害関係ではあつても、同原告の利害関係とはいえないから、採用できないというべきである。

3  そうすると、同原告が本件規則変更の認証を争う原告適格があるとしてする主張は、いずれもこれを採用することができず、したがつて、同原告には右認証を争う原告適格がないものといわなければならない。

三  結論

よつて、原告両名の本件訴えはいずれも不適法であるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宍戸達徳 中込秀樹 小磯武男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例